父親から腎臓を移植してもらう為、わたしたちは大学病院に診察に向かう。

果たして、わたしには無事に移植し、透析から離脱できるだろうか?
検査の結果、移植はできないという結論が出ることも充分ありえる。

しかし、大学病院の診察は思う以上にあっさりと終わる結果になった。

大学病院に着くと、まずは透析施設からの招待状を受付に渡し、腎移植を希望、と伝える。
そして、腎移植を受け持つ腎泌尿器科へ。

ずいぶん長く待たされた記憶がある。
あまりに待ち時間が長いので、暇を持て余したわたしは、売店へ足を運んだ。

大学病院はかなりの規模の大きさだ。
売店まで距離があったので、そこに至るまで病院内を歩き回る。

歩いていると母親が入院していた頃の記憶が蘇る。
できれば思い出したくない苦い記憶だ。

わたしは母親のこともあって、大学病院に良いイメージはなかった。
当時の大学病院は、やれることを尽くしてくれたとしても、わたしには結果がすべてだったから。

暇で仕方なかったので、売店に目的もなく訪れる。
何を買ったとかは覚えていない。
しばらく時間を潰すと腎泌尿器科の方へ戻った。

戻ると父親も席を空けていたらしく、タイミング悪く、ふたりとも不在の時に順番が来ていた
わたしよりも一足先に戻っていた父親は、順番が飛ばされたみたいだと教えてくれた。

すでに待ちくたびれていたのに、更に待たされる事態に

今度はおとなしく呼ばれるのを待つ。
やがて診察に呼ばれ、問診が始まる。

腎移植を希望する旨を伝えるが、医者はいまいちな反応。

その理由は「わたしと父親の血液型が違うから」であった。

医者は続けて言う。
「当院では、血液型が違う腎移植は実例がない。もし、どうしても腎移植をするとなれば、それなりにこっちも勉強して臨まなくてはならない」

わたしは正直なところ、大学病院を恨んでいた。信用していなかった。
だが、医者の表情に真剣さを感じれば、「初の試みだけど頑張ってくれるんだ」と思ったかもしれない。

しかし、医者は少し笑いながら言った(ように見えた)ので、わたしはイラッとした。

だが、ガッカリ…とはならなかった。
「やっぱりこの病院はそんなもんか…」と、妙に納得した気分になった。

そこで前に進めば、移植までいけたかもしれないが、もうそこまでしてここで腎移植をしたいとは思わなかった。
父親はわたしに「どうする?」と尋ねるが、わたしは「もういいよ」とだけ返し、診察を終えた。

父親は、最初に「血液型が違っても移植できるらしい」と、この話を持ってきた経緯もあってか、落胆していた。

帰路の途中、「もう完全にこのまま入院、検査ってやっていくつもりだったのにな」とこぼした。
わたしは黙って聞くしかなかった。

翌日、透析施設に行ったら、昨日の病院はどうだった?と看護師さん達が尋ねる。

わたしは「「血液型が違うから難しい」って言われた」と答えた。
看護師さん達は、少し驚いたような落胆したような表情を浮かべた。

そして、今回の出来事で「なんだかな〜…大学病院ってやっぱりそんなもんか…」と思ってしまったわたし。

結局、父親からの提供は諦めることにした。

移植とは何も身内からしかもらえないわけではない。他人同士でも可能だ。
しかし、他人から臓器をもらう場合は「死体」からに限る。(※注)

※注: 実際は、臓器移植法という法律で詳しく定められているが、ここでは割愛します。
生きている他人から臓器提供を受けることはできないと思って頂いて大丈夫です。(但し、条件をクリアすれば、夫婦は可)

しかも、「死体からに限る」と書いたが、死体から好き勝手にもらっていいわけではない。(当たり前だが)
臓器提供の意思があるドナー登録者が脳死、或いは心停止した場合に限る。
(献腎移植・けんじんいしょく、と呼ばれる。
ちなみに、今回のわたしのように、生きている父親などから提供を受けて行なう場合、生体腎移植と呼ばれる。)

現在の日本では、透析患者は30万人を超えるが、この献腎移植の実施件数は年間で100件あるかないか。
つまり、圧倒的に足りないわけだ。

献腎移植を受けるには、レシピエント(受取人の意)登録をする。

登録待機年数や自身の健康状態、そしてドナーの腎臓との適合性…いわゆる相性を考慮され、移植可能と判断されれば移植を受けられるが、はっきり言って可能 性はごく僅か。
日本での腎移植は生体腎移植がほとんどとなっているのが現状だ。

わたしはレシピエント登録をすることにした。
可能性は僅かだが、登録しなければ可能性はまったくの0なのだから、それに比べれば…ということだ。

登録要項に「腎移植を希望する病院」とある。
わたしの居住している県では、件の大学病院だけだった。
他県の病院を希望することもできるが、その場合、登録にかかる手数料が高く、優先順位的にも不利になる。

しかし、大学病院で移植はしたくない。
母親のこともそうだが、今回の出来事でわたしの大学病院への信頼はもうなかった。

透析施設でも相談する。
当たり前だが、自分の県で登録した方が有利だと諭される。

それでもわたしは、頑なに違う病院での腎移植を希望した。
そんなわたしの意思を汲んでくれた透析施設は、隣県のある病院を紹介してくれた。

その病院とは、移植の実績が国内でもトップクラスの「名古屋第二赤十字病院」。
そこでは、透析はおろか、他の腎臓病も含めて専門に扱う特別な病棟も用意されている。
いわば腎臓病のスペシャリストだ。

父親からの提供を受けることを断念したわたしは、その病院での腎移植を希望し、待機することにした。

そして今も、その病院で年1回の定期診察と待機の更新を続けている。
待機期間も、もう10年以上経った。

ここ数年、定期診察に訪れる度に、医者から「もうそろそろ10年以上だから、もうすぐ当たる可能性がある」と言われながらも今に至る

果たして、献腎移植を受けられる日はやってくるのか…?

続く

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